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ある研究によると一羽の小鳥がそこにいるためには、肉食昆虫が12万匹、草食昆虫が24万匹、そして草木が195万本必要だということが分かっています。

たかが虫や葉っぱを食べて生きている小鳥ですらそれだけの自然に支えられて生きているのですから、虫や葉っぱで済ますことのできない私たち人間が生きるために一体どれくらいの自然が必要なのかを想像することは安易なことではありません。

↑一匹の小鳥でさえ40万匹の昆虫と195万本の草木がないと生きていくことができない

人間は自然に生かされてきたのにも関わらず、私たちはいつしか人間こそ一番偉い存在だと思いあがるようになり、川の流れを変えたり、山を削ったりしながら自然をコントロールしようとしてきました。

そして、2011年の震災でとうとう自然の怒りに触れてしまい、これは東京でも必ず起こることだとして、ジブリの宮崎駿監督は次のように語ります。

「僕は地球の地殻変動や自然災害というのは、人間の営みと全く無関係じゃないと思っています。今回の震災でね、はっきり警告が発せられたんだと思うんです。」

↑人間はいつから川の流れを変えたり山を削るほど偉くなったのか

実際、私たちは物凄いスピードで石油、石炭、そして天然ガスを消費しており、大量生産、大量消費を繰り返して地球をゴミだらけにしながら経済を大きく発展させ、長い間それを「進歩」と呼んできましたが、そんなに焦って経済を成長させる必要はないのではないでしょうか。

哺乳類の動物は一生の間に心臓を約20億回打ち、それは体の大きなゾウも小さなネズミも同じです。ところが、ゾウの心臓はゆっくりと動くことから寿命が長く、一方のネズミの心臓はゾウの何倍ものスピードで動くため、あっという間に20億回を打ち終わって、寿命は圧倒的に短い期間で終わってしまいます。

この法則は恐らく21世紀に暮らす私たちにも当てはめることができ、意識的にスピードを落とさなければ、人類や地球が寿命を迎える日がそう遠くないことは現在の地球環境を見れば明らかです。

↑現代人は自分たちが急ぎすぎているという感覚すら失いかけている

最近になってやっと環境問題に目を向ける人々が現れ、「地球に優しくしよう」と呼びかける人が増えてきました。

しかし、今問題に直面しているのは約40億年の歴史を持つ地球ではなく、私たち人間の方なのであって、私たちが考えなくてはいけないのは「どうすれば自然をコントロールできるのか」ではなく、「どうすれば“私たち”をコントロールできるのか」なのではないでしょうか。

もともと日本人は自然と調和するように生活しており、江戸時代の日本では障子、ふすま、袋物、そして服まで紙で作られていて、それらは修理されながら長く使われ、ボロボロになって使えなくなったら燃やされていました。

そして、その灰ですら洗濯や染め物として再利用し、最後は肥料として土に還されることで、当時は全てのものが地中と地上を循環していたため、日本では「自然を支配する」という概念が生まれなかったのです。

↑従来の日本文化では、すべてのものは土に還されるという循環がしっかりと機能していた 

一方の欧米では、自然を自分たちの力で支配できると考える傾向にあり、それは彼らが信仰しているキリスト教などの一神教が、地震や津波など自然災害がほとんど起きない砂漠地帯で生まれたからだと考えられています。

日本人は日常的に自然災害に苦しんできた歴史を持っていることから、人智を超えた自然界の力に逆らうことは愚かであると理解し、自然を神様として奉りながら生活していたため、欧米人とは対極的な概念が形成されていきました。

↑大自然を支配しようとすることの愚かしさを日本人は大昔から理解していた

しかし、高度成長期を迎え日本が裕福になるにつれて、日本人は自分たちの絶対的な価値観を自然から経済的な豊かさにすり替え、田舎を捨てた多くの若者が東京に出て行きました。

より多くの人口を支えるために、水の供給量を増やす試みがなされる過程で、日本では土木の力が過信されるようになり、川や山に手を加えて人間の都合に合わせて自然をコントロールしようとする動きが強まっていきます。

さらに、1980年ごろになると当時の中曽根政権が日米貿易摩擦を解消するために国民に金を使うことは素晴らしいことだと植え付けはじめ、それまでお金を使ったり、物を消費することは贅沢だと考えていた日本人の価値観が少しずつ揺らぎ始めました。

↑お金を使う罪悪感がなくなり、「もったいない」という言葉も耳にしなくなった

地域にテレビが一台だった時代から、一人が一台を所有する、大量生産・大量消費の時代に突入して行くことになり、テレビ越しにアメリカ人たちの物に囲まれた豊かな生活を目の当たりにするようになった日本人の価値観は、少しずつ欧米寄りの自然を無視した大量消費型にシフトしていきます。

そんな中、『竜馬がゆく』などの代表作で知られる小説家の司馬遼太郎さんは生前、人々が自然を支配しようとする様子に危機感を示し、自然が作るものが完成されている一方で、人間が作るものは常に不完全だとして次のように語りました。

「千年の都と呼ばれる京都や大阪は琵琶湖(自然)が作り出した都市だから放っておいてもやっていけるんです。一方で、東京は四谷の水道とかに手を加えて四苦八苦しながら人工的に成り立っている都市だから無理があるんですよ。」

↑もう東京は環境も人間社会も限界なのかもしれない

宮崎駿さんは、これから自然を蔑ろにしてきたツケがいろんな国や地域に回り始め、21世紀を生きる世代がそのツケを払って行くことになると語っており、すでに日本などでは人間社会が行き詰まり、社会がおかしくなるという傾向が見え始めています。

都市は自然を徹底的に排除し、人間の都合で全てが予定されているため、予定されていないことは不祥事として扱われます。

現代人は電車が数分遅れただけで大騒ぎし、その様子を見ればわかるように、あらゆる事が予定された社会に生きる人々は、“正確なスケジュール”なしには生活できず、「どうなるか分からない漠然とした未来」を恐れながら毎日を過ごしているのです。

↑全て予定通りの社会に生きる都会人は想定外の出来事に弱い

この漠然とした未来への不安を補っていたのが欧米では宗教、日本社会では自然がその役割を担っていましたが、その自然が都市化によって排除され、頼るものがどんどん失われているのですから、将来が不安だと言って未来を悲観したり、中には殺人を犯したり自殺をはかる人々が目立ち始めるなど、社会全体が不安定になっているのも十分納得がいきます。

実際、ある女性が中学生のころ自殺しようと考えていた時のことについて書いた『14歳の私が書いた遺書』という本があり、その中には「友達がこう言った」や「先生がああ言った」など人間関係の話ばかりで、「台風が来た」や「桜が咲いた」など、身の回りの自然に関しては一言も述べられていなかったそうです。

このように自然を自分から切り離してしまえば、そこに残るのは人間だけになるため、人間同士のことばかり気になって、人間関係がこじれるのは当然ですし、すぐに人のせいにするのは都会の人間の典型的な特徴だと言えます。

↑不安定な生活を送っている人の情景には、自然が一切組み込まれていない 

例えば、田舎でヘビに噛まれたら「しょうがない」で済みますが、都会でヘビに噛まれたら「誰が放したんだ」と責任問題になり、問題を追求すれば必ず人間の行為に行き着き、誰かのせいにすることができるでしょう。

東洋医学の考え方に、人間の体は自然の一部であるため自然との不調和が心と体の病気を産むというものがあるように、この人間社会の乱れを治す唯一の薬は自然を尊いものと考える日本人本来の心を取り戻すことなのかもしれません。

小説家の村上春樹さんは自然を日常的に目にするということは人間にとって何か特別なことを意味するとして、次のように語っています。

「僕はしばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かをちょっとずつ失い続けているような気持ちになってくる。それは音楽の大好きな人が、長いあいだ音楽から遠ざけられている時に感じる気持ちと似ているのかもしれない。」

↑都会で暮らす時間が長くなればなるほど、少しずつ何か大切なものを失っていく

現代人は「数字は嘘をつかない」などと言って、徹底的に効率化を進め、情報や統計ばかりに頼ってしまった結果、頭は利口にはなったものの、命のつつしみを考える深い思考力や理解力を失ってしまいました。

世界で最も権威のある学術誌『ネイチャー』によると、地球上の自然の価値は年間約3300兆円だと算出されていますが、このように本来お金で価値を測れないものに無理やり貨幣価値を付ける行為は、現代人が自然の価値を十分に理解していない証拠ですし、値札なしでは物事の本当の価値を判断できなくなってしまったことを見事に表わしているように感じます。

↑もう値札がないと本当の価値が分からなくなってしまった現代人

江戸時代は、江戸から大坂に手紙を届けるのに速達便を使っても最短で4日かかり、なおかつ数十万円の速達料金がかかったそうで、インターネットを使って世界中どこでも一瞬でメールを送信できる現代人からすれば遅すぎると感じることでしょう。しかし、本当は江戸時代が遅すぎるのではなく、現代が早すぎるのです。

これらの利便性は、石油、石炭、そして天然ガスなど地球の資源を大量に消費して作られるエネルギーに支えられて成り立っていることを忘れてはいけませんし、そもそも、自然を損なってまで急いで伝える必要のある要件とは一体何なのでしょうか。

↑メール1通を送ることでも確実に地球の資源は消耗され続けていく

現在の資本主義が行き詰まっていることは、崩壊しかけている人間社会やボロボロになった地球環境を見れば一目瞭然ですが、タモリさんは不用意な拡張や破壊をやめ、持続可能な新たな資本主義のシステムを作ることができるのは、勤勉さ、従順さ、そして秩序を持った日本人にしかできないため、日本人が世界に先駆けて動き出さなければならないとある番組の中で語っていました。

既存の資本主義は生産することに最も価値を置くため、役目を果たし死に向かう生産物には目もくれません。しかし、生と死は一つの命の表と裏であるため、死を軽く扱えば生も軽くなってしまうのです。

日本人が昔よく口にしていた「もったいない」や「おかげさまで」という言葉の中には、新しい資本主義を構築するヒントが宿っており、21世紀に生きる日本人の使命は、景気をよくすることではなく、忘れかけていた自然に対する感謝や利他の気持ちなど、日本人本来のDNAを取り戻すことなのでしょう。

↑21世紀に生きる私たちの使命は日本人本来のDNAを取り戻すこと

自然界というのはよく弱肉強食の世界だと言われる一方、誰も絶対的な強者にはなれなかったのは、誰かがそうなれば生き物の世界は潰れてしまうからで、今までもこれからも人間が絶対的強者になることはなく、これが自然界の真理だということを忘れてはいけません。

生産して消費するだけの直線的な世界観は片道切符を持って旅に出るような不安な気持ちを生み出しますが、かつての日本人が持っていた自然に還すという循環的な世界観にはどこか安心感があるため、そういった概念を取り戻すことができれば、大量生産・大量消費をしなくても安心して暮らせるのではないでしょうか。

私たちの生活基盤の中で一番大切なことは自然に対する礼儀作法をわきまえることで、そうしていれば地球からの信頼を少しずつ取り戻すことができ、私たちの存在をもう一度認めてくれるのかもしれません。

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